[第57話]自治体のイメージアップ戦略?!村よりも町
現在では、地域振興・地方活性化などのために「村」のイメージを逆手に取りながら、地元の地域資源に磨きをかけることに力を入れる自治体を見かけるようになりましたが(注1)かっては、「村」ではなく「町」のイメージを利用する自治体がほとんどでした。
当時の人々にとっての「町」は、働く場があり、住宅や教育、文化施設、交通網が整備され住みやすい環境が整っているといったイメージであり、行政も「町」になることで更なる発展を期待していたようです。
では、「村」と「町」との違いはどこにあるのでしょうか。
地方自治法第8条第2項の規定によれば、「村の要件」に関する規定はありません。また、「町の要件」については、都道府県の条例で定める要件を備えていること(市街地要件、商工業従事者要件など)となっています。(注2)
具体的な要件については、法律は都道府県の実状に応じて条例で規定すべきものとして委ねています。
新潟県内では、昭和40年代の後半に「村」のイメージから抜け出そうと町制への移行を展開する村が現れます。
昭和47年(1972)10月12日、西蒲原郡黒埼村(現新潟市)は県に対して町制施行を申請し、翌48年2月1日に黒埼町が誕生しました。団地造成等による人口急増、国道8号線沿線の軽工業・レジャー産業等の進出に北陸自動車道黒埼インターチェンジの建設などが理由のようです。
昭和48年5月15日、北蒲原郡豊浦村(現新発田市)も県に対して町制施行を申請し、11月1日に豊浦町が誕生しました。住宅地として発展しつつあること、月岡温泉地区が周辺広域観光地として周遊指定され環境整備と近代化が進められていること、大動植物園やゴルフ場等の建設によりレクリエーション・保養基地としての役割が期待されることなどが理由のようです。
また、この頃には県内には人口1万人以下の町が22団体、人口1万人以上の村が9団体あったといいますから、他にも町制施行を目指していた村もあったでしょう。
しかし、当時の県条例(注3)の「町」としての要件には、人口1万人以上を有することなど五つの要件を満たす必要がありました。(注4)
そこで県は、昭和48年2月22日、県条例の一部を改正します。これは、現行条例の要件を一律厳格にあてはめることは地域の実状にそぐわないことや他の町との均衡を欠くことなどから、要件の一つを欠く場合であっても、近くその要件を満たす見込みのあるものについては、これを「町」とすることができるよう要件を緩和し、町制施行を希望する住民の要望に応えようというものでした。
当時、町制施行を目指していた南蒲原郡田上村は、人口1万人未満(国勢調査上)でしたが、この改正を受けて、昭和48年5月15日に県に対して町制施行を申請し、8月8日に田上町が誕生しました。宅地造成が進み人口が増加。県道沿線にはニット・木工業等の企業の進出が相次ぎ、湯田上温泉地区の環境整備やゴルフ場の建設等の観光開発が進められたことが理由のようです。
「村」を「町」にした場合、実質的に行政面での大きな変化は期待できないのですが、昭和40年代後半の県内自治体の中には、イメージアップや一層の飛躍を目指し、村から町としての体裁を整え、住みよいまちづくりを進めていこうとした姿勢がうかがえます。
(注1)事例として、「京都府唯一の村」や「東京都唯一の村」といったように「唯一」というコピーで注目を集める自治体や世界遺産のある岐阜県白川村、ゆず製品で有名な高知県馬路村など。
(注2)「市の要件」は人口5万人以上。(合併特例要件では3万人以上)。その他要件あり。地方自治法第8第1項を参照
(注3)「町としての要件に関する条例」(昭和29年7月7日新潟県条例第38号)
(注4)人口は官報で公示された最近の国勢調査又はこれに準ずる全国的な人口調査の結果による人口。また、他の要件は中心市街地における住宅の密集割合や都市的業態人口割合など。
【改正前の県条例】(請求記号H10総市町村6)
【改正前の県条例】(請求記号H10総市町村6)
【改正条例】(請求記号H10総市町村6)